2011年6月8日水曜日

2月から始まった学校

ボリビアの小学校は、2月から新年度スタートになります。
そして、日本で言うところのいわゆる学区制ではなく、
毎年どの学校に行くかを、
通う子どもの家庭で選んで、希望の学校に申し込みに行きます。
1月の最後の2週間は、その申し込み期間になります。
多くの子どもたちは、前年度と同じ学校に通ってきますが、
新しい顔ぶれもたくさんいます。
逆に、街を歩いていると、
知った顔の子どもが、違う制服を着て歩いていて、
挨拶してくれるということも起きます。
ボリビアは、同じ校舎でも、
午前午後で、使う学校が異なります。
その点だけでも、
まず、選択ができます。
そして、日本のように校庭や体育館があるわけではなく、
狭い敷地に学校が建っているため、
なぜか、通りを一本挟んだ向こうに、学校がある、というように、
地域の中にもいくつも学校が立っている場所があります。
また、ボリビアでは、一歩学校の敷地を出ると、
学校の管理下ではなく、
各家庭の責任なので、
多くの家庭は、親が歩いて送り迎えをしたり、
年上の兄弟が年下の兄弟の手を引いて、一緒にと下校したりしています。
そういった関係もあって、
親の仕事などの都合で、
仕事先の近くを選んだり、
午前午後を選んだりする場合もあるようです。
もちろん、あの学校へ行きたい!!
という希望で選んだりする子も多いようです。
というわけで、新しい一年が、また始まっていくのです。
しかし、2月に学校がスタートすると言っても、
申し込みをしていなかった子の家族が遅れて手続きに来たり、
(すでにいっぱいになっている学年なら、受け付けてもらえないので、
 空きがあるときは、入れる。)
先生が急にやめたり、
新しく入ってきたけど、急に学校を変わったり、
子どもの様子によっては、
2学級で始まった1年生が、3週間してから、急に3学級に増える!という
学級編成(便宜的に分けるだけ)が、始まってから行われたり。
国にとって重要なオルロのカルナバル(祭り)のための祝日があったり。
学校がなんとか普通にスタートしたのは、結局3月中旬・・・・・。
ところ変われば、と言ったところです。
いろんな面があるボリビア。
教育の制度も大きく違います。
この国のよさも、問題に感じることも、いろいろありますが、
ともかく、学校に、子どもたちの声が響いている
というのは、いいものです。
日本の学校の新学期スタートのあの清々しさと、
あわただしいながらも、学級や学習が動いていく感覚が、
少し懐かしくなりました。

半年ぶりになってしまいました・・・・


永らくご無沙汰をしてしまいました。
数少ない読者の方々、ご心配をおかけしてすみません。
1月に旅行した時の記事のまま、ずっと変化なしだったので、
いつまで旅行に行ってるんだ!!
活動は????
といった心配の声が聞こえてきそうです・・・。
さて、その間はというと、
そうですね~~
いろいろありました。
皆さんにお伝えできることについては、
後追いになりますが、
ブログ内に記載していきます。
さて、ボリビアは、今は、冬!
私の住むラパスも、朝夕かなり寒い状態です。
ところが、日中はというと、
標高が高いだけのことがあって、
直射日光が当たると、ものすごく暑いです!
でも、同じ時でも
日陰にいると、ものすごく冷える・・・。
なので、日中の街の中、行き交う人の姿は、
半袖の人あり、
トレーナーの人あり、
セーターの人あり、
ダウン・フリースの人あり・・・・・
結構ふしぎな光景になります。
一日のうちで、体感的には春夏秋冬すべてを感じられる。
ラパスにお越しの際には、
服装の準備には、ご注意を!

2011年1月20日木曜日

スクレ

ポトシに次いで訪れたのは、スクレ。
スクレは、ボリビアの憲法上の首都です。
実際の行政機関は、今ではほとんどがラパスにありますが、
ここ、スクレには、最高裁判所があります。

そのためか、町にも「Abogado」(弁護士)の看板を掲げたビルがやたらに目につきます。

そして、スクレは、白い建物の輝く街。
当時のスペイン人が建設し、生活し、スクレからポトシの銀を管理していたというので、
町は、ヨーロッパ調。


最高裁判所ももちろん白壁。

スクレは、標高が若干低く、2800m。
町歩きをするのが楽しいかわいらしい町。
ここは、ボリビアの中でも趣がスペインを思わせるところでした。

ちなみに、スクレという名前は、
スペイン支配下にあった当時、
各地で独立運動を指導していたシモン・ボリバルの右腕であった
アントニオ・ホセ・デ・スクレ将軍が、現ボリビアの解放に成功。

1825年8月6日独立宣言が読み上げられた場所として、
この地を、スクレ将軍の名にちなんで、「スクレ」という町にしたそうです。

この町は、4つの名前があります。
それまでは、スペイン人には近くの銀山にちなみ「La Plata」と呼ばれ、
その後、「Chuquisaca」と名前を変え、そして、「Sucre」へ。
もうひとつ、町の姿を反映して、「Ciudad Blanca」とも呼ばれています。

今は、Chuquisaca県Sucreです。

というわけで、スクレの町を散策するべく、同期仲間に各所案内してもらいました。

自由の家と呼ばれる、スペインからの独立宣言文の調印が行われた場所。


中には、シモン・ボリバル、スクレ将軍の肖像画が飾られたり、
歴代大統領の肖像画もあります。

また、シモン・ボリバルが、南米地域の独立運動を指導していた当時の
最初の旗も、展示されており、
貴重な博物館になっています。

そして、すごく素敵だったのは、
この建物の中に、現在使われている図書館(資料館)があり、
歴史を重ねた味わい深い本と、
コンピューターで仕事をする人とが、一緒の空間に収まっています。

昔の地図が展示されていたりして、とっても落ち着く興味深い空間でした。


スクレには、織物博物館があります。
ここには、ハルカ、タラブコといったスクレ近郊の村で
織られている伝統的な織物が展示・販売されています。

この博物館では、実際に村の女性が織っているところを
見ることができます。

ものすごく細かい作業の繰り返しで、
壁掛け一枚(50cm四方くらい)織るのにも、半年ほどかかるそうです。
この織物は見事で、模様の組み合わせなど、織り手の頭の中に図面が入っているそうで、
手本やマニュアルで覚えるのではなく、
経験の積み重ねで、見事に織り上げていくそうです。
今は、発色のいい化学染料で糸を染めることもあるそうですが、
昔ながらの自然の天然染料を使ったものは、独特の味わい深い色合いをしています。

これらは、買うとなると、結構いいお値段がしますが、
この作業をしている様子を見ると、それでも安すぎるのではないかと思えるほどです。

きちんと丁寧でいい仕事の上に生み出されてくる作品には、
それなりの対価でいいと、思いました。

次回は、ぜひ、タラブコやハルカの村へ行って、
直接村の様子を感じながら、作品を見たいなと思います。



さて、スクレといえば、いろんなものがあるのですが、
タカザウルスとして外せないのが、恐竜の足跡見学です。

町はずれのセメント工場の敷地内で、
土を掘っていたところ、壁面に残る足跡が発見されたというところ。

ここは、今は白亜紀公園と名づけられ、
各恐竜の実物大模型も見ることができます。

知る人ぞ知る、地元の恐竜公園を思い起こさせるような大きな恐竜がたくさんあり、
ちょっぴり懐かしい気分になりました。
(タカザウルスのキャラも、当時地元で恐竜公園ができたときに、友達と考えたんですよ。)

恐竜内部が滑り台になっていたり、アスレチックがあるわけではありませんが、
足跡の恐竜たちがいきていたら、このサイズなんだな~と、
昔のボリビアは、どんな植生だったのかな~
と、考えてみたりしました。



もうひとつ、スクレといえば、ボリビアの女の子からすぐ言われるのが、
チョコレートです。

ここには、有名な Para Te というチョコの本店があります。

そこで、チョコレートケーキを堪能しました。

甘いチョコレートケーキとくれば、
おいしいコーヒーが飲みたくなるのですが、
この店にある食べ物・飲み物はすべて、チョコ入り・・・・。
ということで、ものずご~く濃厚なケーキを食べ、後は、水を飲んでおりました。

スクレでは、友達のお薦めで、
ダンスのショーが見られるところへも行きました。
ボリビア中のいろんな踊りが見られ、最後には、みんなステージに上がって踊ることができます。
ダンスも衣装も本当に多様で、魅力的です。
どのダンスを習うかが、ものすごく迷います。

そして、スクレでも、スクレのビール、スクレーニャを堪能したのは、言うまでもありません。


スクレから、ラパスへは、夜行バスで12時間。
最近、バスのブスカマ(リクライニングできるゆったりの横3列シートのバス)にも、
なれてきた感じで、けっこうしっかり寝られます。

スクレをはじめ、今回出掛けたところはみな、いろんな見所たっぷりだし、
ステイ先のお父さんには、スクレでサルティーナを食べないなんて~
と言われたので、ぜひ、また行きたいな~
と思っています。

旅でであった旅人の皆さん、
(ウユニ~ポトシ~スクレと、同じように回っていて、何度もいろんな場所で会う人もいて、
最後には知り合いのようになっていました。)
再会できた同期の仲間たち、
各所で丁寧な案内をしてくれたガイドの人たち、
ホテルや街の人々、
一緒に旅行してくれた、いつもお世話になっている友達、
いろんな人との出会いや、
体験や、思いに、感謝!

ポトシ


ウユニの次に向かったのは、ポトシ。
ここは標高4070mにある、南米ではものすごく重要な都市の一つ。
世界文化遺産に選ばれた旧市街地が残り、
銀山セロ・リコが、ポトシを見下ろしている。

1545年原住民によって発見された銀をきっかけに、
ここポトシは、世界最大の銀鉱脈として注目される。
当時、支配していたスペイン人たちによって、
ここの銀は、各銀製品や銀コインに姿を変え、
世界中に広まっていった。


そのような、歴史上重要な地域だったポトシだが、
鉱山で実際に働く工夫たちの仕事は過酷を極めた。
スペイン人の支配下から解き放たれた今でも、仕事の過酷さは変わらない。

厳しい労働の中で、掘り起こされる資源。
現在、ここでは、錫の採掘がおこなわれ、ボリビア経済を支えている。


ここには、当時の有名な造幣局がある。
そこでは、とても特徴的な顔がお出迎えしてくれている。


Casa de la Moneda

中は、博物館になっていて、
いろんな銀貨や、その製造工程などを見学することができる。
しかも、丁寧にガイドさんがついて
解説をしてくれるので、ありがたい。

建物など当時のものなので、
どんな作業で、どんな環境だったのかと考えると、
世界の晴れ舞台で輝いていた銀・宝飾品、銀貨を支えていたのは、
この、南米の、ボリビアの先住民たちなんだなと、
あらためて、感慨深かった。

ちなみに、ここポトシでは、おいしいフォンデュ・デ・カルネを食べられると聞き、
しっかり味わいに行きました。
おいしい料理のお伴には、この土地のビールであるポトシーナ。
味については、仲間内でもいろんな評があるが、
1ℓビンで出てくるのはありがたい。

4000mの高地でもおいしく食べて飲んで過ごすことができる
自分の健康体を、本当にありがたく感じました。

ウユニ塩湖 その3

ウユニでは、いろんな自然の姿も見ることができます。


これは、標高4000m超えのところにある、強風によって自然に出来上がった岩
「Arbol de Piedra」その名も、石の木

ここは、周りに風を遮るようなものもなく、立っていても押されるほどの
ものすごい強風が吹いている場所でした。
ガイドさんの話によると、風向きの関係で、午後に、すごい強風になる場所らしいです。
今にも、倒れてくるんじゃないか・・・・。
と心配になるようなバランスで立っています。
この周りにも、風の影響で、
奇妙に穴がいたり、亀裂が広がったりしている岩がありました。

そして、形が不安定で、しかも強風の中、それらの岩に挑んでいる観光客もいました。
思いっきり記念写真を撮ってもらっていました。
(かなりのツワモノでないと登れない・・・。)


お次は、「Sol de Mañana」
その名も、朝の太陽

ここは、標高5000m近くにある、大地から蒸気が噴き出しているところです。
朝、寒い中行ったので余計に湯気の柱がはっきり見えました。
この写真は、大地の割れ目から
土というかお湯というか、まるで白いマグマのような感じで
ぼこぼこ湧いていることろです。
地面も触ると温かく、湯気は硫黄のにおいがしていました。

とても、温泉というレベルではなく、
入ったら溶けそう・・・・という感じ。

でも、そこから、少し行ったところに、ラグーナブランカ(白い湖)という、
いわゆる温泉がありました。
観光客の皆さんは、水着に着替えて入っている人も多かったです。
でも、周りが結構寒い!
ということで、
私たちは、その近くでお湯が湧き出ているところに、足湯状態で入ってあったまりました。
そこの温度は38度くらいで、ちょうどいい~。


塩湖の中には、Isla de Pescado という、
塩の海に泳ぐ魚のような形をした岩礁があります。
この島は、一面のサンゴの化石で覆われていて、
かつて海だったことを物語っています。
島の周りは、海岸線のようで、塩の波が打ち寄せたような跡があります。

ここには、サボテンがたくさん生えています。
乾燥した塩の大地に、ぎらぎら輝く日差しを受けて、
力強く、太陽に向かって伸びるサボテン。
そして、そこから顔を表し、凛と輝くサボテンの花。


ラパスにいるだけでは見ることのできないような風景をたくさん見て、
風を肌に感じて、
日差しをいっぱい受けてくることができました。

ボリビアは、広い!
そして、自然環境が豊か!
ということを感じ、
いずれは、ボリビアのアマゾン方向(ベニ県トリニダ)へも行ってみたいと思いました。
(ワニとか、ピラニアが食べられる地域です)



¡Viva Bolivia!

ウユニ塩湖 その2

ウユニツアー中は、いろんな動物にも出会えました。

まずは、標高4000m級の山に住む、ビクーニャ。


彼らは、普段、家族?仲間と一緒に行動をしていて、高地を駆け回っています。
この時は、水辺へ集まってきていました。
希少動物なので、決まった時期にしか狩ることはできません。
ビクーニャの毛は、アルパカの毛よりも、細くやわらかく、
セーターなどにすると、ものすごーい高級品へ。

木が一本も見えない高地で、彼らはどこに巣があるのか・・・。
ガイドさんの話によると、
「夜は、その辺で集まって寝ているよ。」

厳しい環境の中で、たくましく、かわいらしく生活しているビクーニャ。
(彼らの生態については、また、専門の隊員に聞いておきますね。)

お次は、チリフラミンゴ。

ラグーナコロラダ等の、赤い色をした湖に生息しています。
体の色がきれいなピンク色をしています。
これは、湖近くのホテルの従業員らしき女性に聞くと、
「湖で、食べている餌の小エビやミネラルのおかげで、ピンクになるんだよ。」
とのこと。

食べた物の色を反映するだけ、
体が美しい、ということかもしれないな~と、思いました。

人間も心を反映して瞳が輝くもの。
生き生きとした輝きを持ち続けたいものだと感じました。

ウユニ塩湖 その3に続く。

ウユニ塩湖 その1

夏休みを利用して、国内観光に行ってきました。

まず、思い浮かぶのがウユニ塩湖。

標高約3700Mのことろにある世界最大の塩湖です。
私と友人は、本当はオルロから列車でウユニ入りをしたかったんですが、
混んでいて乗れず、バスでウユニへ向かいました。(列車は次回!)

そこで、偶然、同じような日程でウユニツアーに来ていた同期仲間4人にも再会!
(みんな考えることは同じよね~)
一緒に朝食を食べ、情報交換をし、出発しました。

私たちは、一泊2日の塩湖に泊るツアーと、
ラグーナコロラダやラグーナベルデまで行く2泊3日のツアーをくっつけて、
3泊4日で行きました。

ウユニ塩湖は、一面真っ白!
ちょっと間違うと、一面の雪原に来ているのか?と、
雪国育ちの私は思ってしまうほど、白銀の世界!
でも、確実に、塩なんです。
少し降った雨の水たまりには、塩がまさに結晶化していく状態が見れ、
きらきら輝いています。
そこでは、こんなショットを!

「タカザウルス、ディノサウルスに追いかけられる」

今回のウユニツアーでは、
日本人と韓国人の旅行者さんたちと一緒になりました。
彼らの中には、世界一周の途中という人もおり、
どんな感じで回るのか、どんなチケットを取って計画しているのかなど、
いろいろ教えてもらいました。
中には、ツアー途中で、チリの国境へ抜けていくという人も。
みんな、気さくな明るい人たちで、
短い間でしたが、とても楽しい旅になりました。
これも、旅の楽しみでもありますね。

この旅、車であちこち回るのですが、
ここで大活躍なのが、トヨタのランクル。
道がないようなところや、塩の中、川の中、
埃だらけになりながらも、ぐんぐん走っていく。
他のツアーも同じようにランクル。
みんなが集まる観光ポイントにつけば、びっくりするくらいのランクルの数々・・・。
4000M級の高地でも、悪路や長時間走行にもびくともしない
日本車の性能の良さを、改めて実感しました。


久しぶりの旅に出て、元気いっぱい!充電満タン!
そんな気分を、パシャリ!

ウユニ塩湖 その2に続く。

ティワナク遺跡

ボリビアには、いろんな見所があります。
今回は、そんな中で、先日訪れたティワナク遺跡の紹介です。


この遺跡は、チチカカ湖方向にある、広さ4㎞四方にも及ぶものです。
紀元前200年頃から起こり、
最盛期は、600年~1000年くらい。
この遺跡は、400年~800年頃のものだろうと言われています。
巨石が積み上げられ、大きなモノリート(立像)があります。
スペイン人がやってきたとき、この遺跡の巨石を壊して運んで、
ティワナクの町や教会を建てたそうで、かなりの遺跡や巨石が失われてしまっています。
現在は、まだ、発掘途中のところもかなりあるように見受けられました。
標高3800Mの高地、近隣の山々の重要な場所を結んだ、
ちょうど三角形の中に、巨石が運ばれ、
昔の多くの神々を崇拝する宗教都市として、文化が築かれていったようです。
また、スピーカーのように声が近くで聞こえたり、
逆に拡声器の役割を果たす石、の穴があったり、
カレンダーのように文様が彫りこまれている門もあったりします。
冬至と夏至には、日の出がちょうどこの門と塔を一直線に結ぶそうで、
アイマラの正月に当たる6月21日には、初日の出の太陽を浴びて、力を授かろうと
多くの人々が集まり、踊りながら、日の出を待つそうです。
でも、この日は、一年で一番寒い日とも言われているそうです。
このように天文学的にも意味のある建造物を、
大昔の人たちが作り上げたということは、本当にすごいことだと感じます。
今の世の中以上に、
生きていくうえで、太陽や自然、環境の持つ意味や影響は大きく、
天体、自然と一体になった生活をしていたんだなと感じました。
ラパスからは、72kmと近いので、日帰りで行くことができます。
近いと聞いていたものの、6ヶ月経ってやっと行ってくることができました。
のちのインカ文明に影響を与えたと言われるこのティワナク遺跡。
遺跡に興味のある方は、ぜひ。

一言ずつ

今、ステイ先には、息子さんのご家族も一緒に住んでいます。
家族とステイの住人を合わせると、14人!
大きな家ですよね~。

私は、普段ボリビア家族と一緒にご飯を食べたり、テレビを見たりしているので、
子どもたちと一緒に遊ぶこともあります。
一緒にテレビを見たり、折り紙をしたり、双六のようなボードゲームをしたり、絵を描いたり・・・。
大抵は、私が相手をしてもらっている感じで、
いろいろ説明をしたりしてくれるので、スペイン語を聞くトレーニングをしています。

写真の、左は、娘さんのバレンティーナ、10歳。
赤ちゃんは、息子のファビオ。
赤ちゃんを抱っこしているのが、ベビーシッターとして一緒に生活しているチョキータ、13歳。
チョキは、いろいろな事情があり、この家族と一緒に生活して1年になる、ベニ県出身の子。
ほぼ、3人兄弟のように育っています。


ファビオは、今1歳4カ月。
毎日少しずつ成長してきているのがとってもかわいい盛りです。
このファビオ、お嫁さん(つまりファビオのママ)のおかげもあって、
なんと、私の名前を覚えてくれたんです。

ちなみに、彼の言葉は、今のところ、
ママ、パパ、バア、バウバウ、アー。そして、私の名前(に聞こえる)。

うれし~!

ファビオのしぐさの一つであるブラボーをいつも一緒にやったり、
踊ったりしていたから、家族として、認識してくれたのかも~。

子どもは、毎日確実に成長していきます。
その姿が、最近とっても楽しいです。

ファビオたち息子家族は、2月になると、他のアパートに引っ越してしまいます。
ちょっぴりさびしいけど、
時々は、きっとその成長の姿を見せてくれることでしょう。

・・・・成長という点で言えば、
きっと、私のスペイン語レベルは、ファビオにポコ+α。(苦笑)
バレンティーナには、到底追いついていない・・・・
そんなところですが、(泣)
私が帰る頃には、ファビオとおもちゃやテレビの話ができるようになっているはず!

これからも、きみの(そして私の)成長を楽しみにしているよ~♪

お正月


自宅待機が解けて、外出できるようになり、
早速、常日頃お世話になっている方の家へ新年のご挨拶に行きました。
というか、普段、日本食に飢えている私たちを気づかって、
お節料理をごちそうしてくださるために、招待してくださったのです。

彼女は、普段病院のボランティアを先頭に立って進めてくださっている方。
ボリビア生活も長く、そしてボリビア人の友人も多く、
ボランティアをしながら、ボリビアのことや仲間たち、いろんなことを教え導いてくれる人です。
いつも彼女が作った料理やお菓子を頂き、楽しくお話しさせていただくおかげで、
幸せな気持ちでボランティアの活動も楽しくできています。

彼女の旦那さまも、チャーミングな方で、
私の仲間の仕事関係で知り合い、
奥様同様に、いろいろ気にかけてくださっています。

訪問すると、テーブルにはお重が・・・。
ありがたいことに、本格的なお節料理や尾頭付きの魚、チチカカ湖のトゥルーチャの刺身など、
ものすごいごちそうが用意されていました。
このボリビアで手に入るものや、日本から持ってきたものなど、
いろいろなものを工夫して、
色鮮やかなお節料理を作ってくださいました。

彼女のご家族と、私や仲間たちと一緒に、しっかりかみしめ
味わって頂きました。
お昼からお邪魔したのに、いろんな話あり、楽器の演奏あり、家庭菜園の収穫ありなど、
気がつけば、あっという間に夜になっていました。

その間、私たちの気持ちをくんで、
彼女は、お蕎麦や、お餅など、お正月フルコースをふるまってくださいました。

感激、感動でお腹も胸もいっぱいになりました。

そして、
日本で家族でお節料理やお餅、そばなどを食べていた時は、
毎年のことで、当たり前に食べていたけれど
当たり前が難しいボリビアに来て、
母が毎年料理して準備してくれていた姿を思い出し、
あらためて、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

ボリビアに来て、自分の活動以外にも、いろんな方と知り合えたり、
世界が広がったりしているのは、
彼女の存在が大きいと感じています。
明るくて、さっぱりしていて、チャーミングで
そして、ボリビアにしっかり根をはって生活している彼女。
ボリビアに来なければ知り合えなかった人。
この出会いに、感謝。

2011年1月19日水曜日

新年=Año nuevo

ボリビアの年越しは、どんな感じなのか・・・。
初めての瞬間なので、楽しみにしていました。

でも、様々ない事情があって、家から出られない!
という、これまた珍しい年越しになりました。
それは・・・・、
27日に、いきなり大統領が、ガソリンへの政府の補助金制度を廃止する!
と、宣言したことから始まりました。

それを受け、ガソリン価格はいきなり80%上昇!
交通機関の料金は混乱を極め、ストップ。
スト、デモ、反対のための道路封鎖などが起こりました。
人々も、その混乱が長引くことに備え、日用品や食料品の備蓄のためスーパーへ。

私たち仲間も、やっと年末の休みになって国内等移動しようとしていた矢先のことで、
みんな任地に速やかに戻るように指示が出され、
自体が沈静化するまで自宅待機を命じられました。

何かがあるときは、いきなりなんだな~と驚いたと同時に、
それに対する反応も急速な過激な状態になるもんなんだな~と。
外国に来て、生活しているんだなということを改めて感じたものでした。

そんなこんなで、友人と一緒に紅白を見て過ごそうか~と言っていた話も吹き飛び、
(ボリビアはNHK衛星放送が入ります。日本の情報は、そこで見ることができます。)

ステイ先の家族と一緒の
ある意味、興味深くありがたい年越しを過ごすことになりました。

とはいえ、紅白は、途中からですが、しっかり見ました。
(ボリビアの朝がオンタイムで放送しています。ちなみに夜にも再放送があったようです。)
素敵な福山さんから、スマップまで、しっかり堪能しました。

いろんな歌を聴いて、ジーンとしたり、感慨にふけっている私を、家族は
「Tranquila~」(ゆっくり落ち着いて見ていていいよ~って感じ)
と、しばしほっておいてくれました。

さて、この日は、我が家に親族が集まるということで、午後は、みんなで掃除をしたり、
食器のセットを準備したり、大忙し!
パパは、ピカーナ作りに大忙しです。
ピカーナは、新年を迎えるときにも食べるとのこと。
そして、各家によって味が違うとのことで、パパは、ピカーナ作りに腕を奮っていました。

夜10時くらいになると、親族が集まってきます。
11時くらいから、ピカーナを食べ始め、
シャンパンとブドウの準備がありました。
ブドウは、一人12粒。
新年は、12時を迎えるときに、家の一番上の場所に上がっていき、
その時、願い事を心で唱えながら食べる・・・・。

・・・食べるそうですが、それを知らずに、準備された時に、先に食べてはじめてしまった私。
・・・・・・食いしん坊だわ・・・・・・。
家族が、ブドウの意味を教えてくれて、食べた分も、追加してくれて何とか準備OK!











いざ12時!

みんなで、我が家の屋上に向かって移動します!
屋上は・・・・・











こんな感じで、ラパスの夜景が見えます。

上に上がると、あちこちから、花火が威勢よく上がっているのが見えました。
すごーい!
と思っているのもつかの間、
我が家の屋上からも、花火がどどーん!

そして、みんなで、新年のあいさつをそれぞれみんなにしていきます。
私は、願いを欲張ったせいか、多すぎたのか、
いつまでもブドウを食べながら、願いを心でとなえていました。
(欲深ですみません。)

各家々からは、ロケット花火や、打ち上げ花火が威勢よく上がります。
結構大きな花火もあって、遠くで上がっているのがよく見えました。
また、自分の家であげているものは、真上に上がっているので、迫力満点!

そんな風に、賑やかに、街中のみんなでお祝いしました。

日本のように、家族で、おごそかに和やかに新年を迎えていた様子とは、まったく違うボリビア。
季節が、日本は冬で、こっちは、一応夏ということも関係あるのでしょうか。
日本の、除夜の鐘とともに、しんしんと雪が舞うような風景を懐かしく思い出すとともに、
陽気な新年のスタートを切れたことも、うれしく思いました。

そしてさらに朗報が!
この夜、国内のあまりの混乱ぶりに、大統領が、発言を撤回!
翌日からは、ガソリン価格が元に戻るという状態になりました。
(あの突然の発表をすれば、混乱は予測できたと思うのだが、
 いさぎいいんだか、何を狙ってたのか・・・。)

ともかく、そんな喜びも重なってか、盛大な年越し!新年の幕開けとなりました。

¡Feliz Año Nuevo!

皆様にとって、充実した年になりますように。
そして、世界中の一人でも多くの人が、微笑んで日々を過ごしていかれますように。
2011年も、どうぞよろしくお願いします!

クリスマス=Navidad


ボリビアは、キリスト教のカトリック信者が大変多い国です。

私のボリビア家族も、カトリックの方々です。
クリスマス前の町は、いたるところにキリスト生誕の様子を再現したジオラマが飾られていました。
ただし、その中心となるはずの幼子キリストは、まだおらず、いろんな人々や動物たちが、
キリスト誕生を今か今かと、待ちわびているジオラマでした。
家のツリーの下にも、そのジオラマがあり、
周りには、プレゼントが日に日に増えていきました。
19日には、少し早いですが、ステイ先の仲間とみんなでクリスマス会を行いました。
今は、フランス人2人、ノルゥェー人2人、カナダ人1人、と私が、
ボリビアの家族(両親、娘、息子夫婦、その子ども2人、お手伝いの女の子)と一緒に住んでいます。
その日は、フランス人の友達や私の友達も一緒にパーティーをしました。
みんなそれぞれ食べ物を一品持ち寄りました。
私は、この日病院関係のボランティア主催のフェリアをしていたので、
その時作ったのりまきとケーキを持参しました。
ママの感謝の言葉とともに始まり、みんなでシャンパンで乾杯!
それぞれの食べ物を頂きます。
クリスマスシーズンの特別のお菓子もありました。
パネトーネと言われるフルーツ入りのパンのようなケーキのようなものです。
形は、コックさんの帽子みたいに縦長です。
星やツリー、サンタの形をして、色とりどり鮮やかなクッキーや、
大きなリング型のパンもあります。
私の持参したのりまきは、大好評!
ステイ仲間は、みんなおいしい!とおかわりしていました。
のりまきは、玉子やエビで作ったでんぶ、かんぴょうなど、
病院ボランティアでお世話になっている、ボリビア在住の日本人の方が
(いつも本当にお世話になっていて、こちらでの母、姉のような方)
作っておいてくださったもの。
なので、切り口の彩りも鮮やかで、そんなところも、好評だったのかなと思います。
そして、プレゼント交換!
事前に、くじ引きをしておき、その相手に向けてプレゼントを準備しておきます。
予算は、25~30ボリ以内と決まっていました。
(日本円で、390円くらい)
私は、フランス人のお姉さんの方へ贈ることになっていたので、
木製の星型の立体パズルを贈りました。
そのあと、みんなで話をしながら、組み立てに挑戦!
3人の仲間で知恵を出し合い、抑えあって・・・・
完成した時には、みんなで飛び上がって喜びました!
(けっこう、難しかったんです。)
普段一緒に住んではいるけど、一堂に会して話したり食事をしたりするのはめったにないので、
みんなで盛り上がって楽しい時間を過ごしました!
さて、24日のイブはというと・・・・。
私が、「ボリビアのクリスマスを見たい!」と、お願いしたこともあり、
家族、親族の食事会に一緒に参加させてもらいました。
ということで、3階へ!
本当は、この日の夜に教会のミサへ参加するのが習わしなのだそうですが、
料理などの準備の都合で、今年は、翌日の朝行くことに変更・・・。
夜の10時くらいに親族が集まり、一緒に話をしたり、飲んだりします。
そのあと、11時くらいになると、みんなでこの日特別に食べると言う料理「ピカーナ」を食べます。
ピカーナは、豚、牛、鳥と、様々なお肉、
人参、玉ねぎなどの野菜
いろんなものがしっかり煮込まれ、絶妙な味のハーモニーを奏でています。
これに、付け合わせで、ジャガイモ、マイス(巨大なもろこし、ジャイアントコーンみたいなもの)
が出て、一緒に食べます。
ビーフシチューのような、深い味で、ジャガイモと良く合います。
あまりのおいしさに、しっかりおかわりしてしまいました。
そして、12時ちょっと前にはみんな手に手にシャンパンを持ち、
ラジオ放送のカウントダウンを待ちます。
そして、25日を迎えると同時に、乾杯をして、
それぞれが全員に乾杯と挨拶をしていきます。
一人がグラスを床に落とし、大地の神(ボリビア古来からのパチャママ信仰)にも、
祝福のお酒をささげていました。
と、同時に、
誕生再現のジオラマの中に、家から持ち寄った幼子キリストを飾り、
その飾りを前に、お祈りをしていました。
25日を迎える瞬間を、感謝の気持ちで家族で大切に共有する、
それがボリビアのクリスマスです。
ちょうど、日本の年越し、新年を迎える大晦日のように、
家族にとって大切な節目が、クリスマスでした。
そのあと、もちろん、家族親族みんなでも、プレゼント交換が行われます。
方法は、前述と同じく、事前に用意しておきます。
そして、みんなで楽しく飲み、語り合います。
2時くらいにお開きになり、家へと戻り、
今度は、家族だけでのプレゼント交換もします。
家の、孫娘バレンティーナ(10歳)が企画した、一人2ぼりでの交換会!
みんな、かわいいプレゼントを用意しており、交換していきます。
そのあとは、各自がそれぞれに用意したプレゼントを渡します。
これは、交換というより、子どもたちへの贈りものという感じもありました。
プレゼント交換は、金額が決まっている中で、相手のことを思い、
工夫を凝らしたプレゼントをするところがとても素敵で、
選ぶことも、準備することも楽しかったです。そして、
私も、たくさんのプレゼントをもらいました。
日本では、クリスマスというと、子どものため、
はたまた、恋人同士のためのイベント!という感じが強い気がしますが、
ボリビアは、家族みんなにとって楽しく、
そして、神やいろんなものに感謝する日でした。
ほんわかした幸せの気持ちになれたひとときでした。
ちなみに、クリスマスの飾りは、1月6日まで普通に飾られます。
1月6日も、キリスト教にとっては意味深い日で、
キリスト誕生のお祝に駆けつけてきた東方の賢人が、長い道のりをかけてたどり着いた日だそうです。
なので、1月6日にも、お祝いとして、プレゼントを渡したりする人もいるようです。
日本だと、そのあと、すぐ新年の飾りに変わりますが、
年を越しても、飾られているというのが、キリスト教の国なんだなあと、感じました。
国によって、宗教によって、いろいろな違いがあることを改めて感じました。
でも、今日という日を大切な家族や友達と、
離れていても日本の人たちのことを思いながら、過ごすことができ、
今日の命に感謝した日でもありました。
¡Feliz Navidad!

ボリビア家族の結婚式!

私の住んでいる家は、4階建て(坂に沿って建っています)ですが、
3,4階には、ステイ先の家族の親戚が住んでいます。
3階には、ママの姉家族、4階にはママの兄家族です。

3階の家族の娘であるベロニカさんが、今回結婚しました。
以前から、家族の焼き肉会に招待してもらったりしていたおかげで、顔見知りになり、
今回、私も、家族の一員として、結婚式に招待してくれたのです。

日本でも、かなりの数結婚式に招待してもらい、
学生時代には、結婚式場でバイトもしていたし、
いろんな結婚式やご夫婦を見てきた私としては、
外国の結婚式に参加できることは、とても楽しみで、
「どんな感じかな~♪ 何着ていこ~♪」
と、ルンルン気分でした。

しかし、そんな洋服は一着も持ってきていなかった私。
いろいろお店を探しまくり、試着し・・・悩みまくり・・・結局、
こちらに住む友人に貸していただきました。(良く着れたね~って思ってるでしょ。)

今回の式に参加するにあたって、事前に新郎新婦が選んである品物を、指定された店に行って
自分で選んで贈り物をします。
これは、ボリビアでも一般的ではないようですが、合理的な方式で、
若い感覚のご夫婦には、ぴったりという感じでした。
私も、それらの中から、キャセロールセットを事前に選び、贈りました。


式当日は、学校の子どもたちも登校最終日で、
仲間との語学研修も最終日。
結婚式は、夜の7時30分から、ということで、
一日中ばたばたしっぱなしでした。
しかも、研修修了予定が夜7時。
こりゃ~、間に合わないと、事前に家族に相談すると、
「大丈夫~、ちゃんと待っているよ。」と。

その言葉通りに、7時20分ごろ急いで帰宅すると、
家族はみんな、着替えたり、シャワーに入っていたりで、まだ支度の途中。

ボリビア時間でよかった~と思ったのは言うまでもありません。

結局、会場に着いたのは、夜の9時前!
そして、9時半ごろに、いよいよ結婚式・披露宴が始まりました。

会場は、日本の結婚式場のように、それ用のパーティ会場に、
家族や仲間ごとの丸テーブル。ざっと200人ぐらい。
新郎新婦席が広いなあと思っていたら、そこには、両家の家族みんなで座るようになっていました。
(家族も一緒にみんなに祝福される感じで、とってもいい感じでしたよ。)

最初に、教会関係者と一緒に、誓いの宣誓や署名がおこなわれ、みんなで盛大に祝福!

その後、しばらく新郎新婦は退席し、写真撮影へ。

新郎新婦が、戻ったところで、家族、新郎・新婦、それぞれに一言喜びや感謝の言葉を述べ、
その都度、みんなで乾杯!
そして、新郎新婦のダンスへ!
その後、新婦と父親のダンスを挟み、再び新郎新婦ダンス。
それらの後、待ってましたとばかりに、会場のみんなが立ち上がり、ダンスが始まりました。

よく外国映画の舞踏会のように、みんなが優雅に踊ります。

私も、ステイ先の家族と一緒に踊りました。
途中、食事タイムがあり、みんなで食事。
そのあと、また踊り、飲み、食べ、踊り続ける・・・・。

ダンスの曲は、優雅なものから始まり、ボリビア伝統舞踊各種、最近流行の曲など、
バラエティー豊か。
それら、どんな曲がかかっても、リズムに合わせ、
老若男女問わず、みんなが楽しそうに踊りまくる。
近くで踊っているメンバーと入れ替わったり、みんなでくるくる回ったり、
新郎新婦を囲んで踊ったり、
疲れてちょっと休んでも、またすぐ踊りに行く。
踊りまくって若干汗だく!という感じでした。

そして、各自が都合のいいときに退席し、そろそろお開きかな?というころには、
なんと、夜中の3時。

ステイ先の家族もみんな元気いっぱいに踊りました。
新しい夫婦を、会場中のみんなが祝い、一緒に楽しむという明るくて活動的で和やかな結婚式。


さあ、翌日は、一日中寝ているのか・・・・と思いきや、
翌日の昼は、今度は、ステイ先の家族・親族との焼き肉会!
(昼と言っても、さすがに翌日ということで、結局食べ始めたのは4時くらいですが)

結婚式の後に食べると言う特別の、豚足の唐揚げ(握りこぶし大の巨大な唐揚げ)を
食べました。
この豚足ができるまでにも、家族で踊りまくり、
飲んで、話してと、楽しく過ごします。
また、この日は特別に、楽団を呼んでいたので、
生演奏の中、踊るという、これまたスペシャルな焼き肉会でした。

ボリビア家族の結婚式に参加して一番感じたのは、
家族が増えることを、みんなが本当に喜び、家族を大切にしていること。
特に、私のステイ先の家族は、とても仲が良く、みんなで歌い踊り、食べ、飲んで、陽気に過ごします。
(飲みすぎ、羽目の外しすぎということは、ありません。マナー良く楽しみます。)

結婚式にはいろんな思いが詰まっていて、
幸せと、希望と、祝福と、夢にあふれています。
いつ行っても、何回行っても、誰の結婚式でも、胸がじーんと熱くなる私。
家族の門出の瞬間に立ち会うことができ、幸せパワーをたっぷり頂いてくることができました。
ベロニカ&ミルトン、本当におめでとう!

私も、がんばるぞ~(笑)

2011年1月8日土曜日

明けましておめでとうございます

あっという間に、2011年を迎えました。
みなさん、お変わりありませんか?

2011年も、どうぞ、よろしくお願いします!

さて、すっかり更新が滞ってしまいました。
ほんとに、気まぐれ更新になっていてすみません。

その間、元気いっぱいの生活に変わりはなかったのですが、
まあ、いろいろありました~。

①職場でカメラを盗まれる。(来校者が特別ものすごく多い日だったのに、不注意だった私。)
 保険の手続き関係でばたばた
 事務所にも大変お世話になりました。
 気まずい感じになってしまった職場・・・でも、関係修復!
 新たなカメラ購入のため、いろいろ相談!
 日本よりボリビアに来る人づてで、無事!日本よりカメラ到着!

②体育の公開授業!
 スペイン語での指導案に苦戦。
 教具作り!
 授業当日の日程がどんどん変更していく状況。いつから授業ができるのかさっぱり分からない・・・。
 授業後に先生たちと授業内容やねらいを含めた研究会・・・ス、スペイン語が・・・・。
 
③職場用の今年度の報告書作成!
 こちらもスペイン語に苦戦・・・。作成時間・・・・たっぷり。作成内容・・・・薄うす。(今の限界(泣))
 報告したところ、内容についていろいろ気持ちの行き違いが・・・でも、一生懸命伝えて何とかOK!

④学年末
 休みに入る前に、日本の小学校との作品交流用の絵など作成を依頼していたのに、
 みんなに、すっかり忘れられていた・・・・(ショック・・・)
  → 日本のみんなからはすでに作品が届いていて、全校に紹介もしてあったのに・・・。
     日本のみんなごめんなさい。3月には間に合うようにします。
 補習期間には算数の授業!
 理解を深めてもらうには至らない間に、補習期間が残ってたのに、いきなり終了。なぜ?

⑤ボリビアのクリスマス!
 カトリックの多い国ならではの、家族と祝い、神様やいろんなものに感謝する日
 詳しくは、次回紹介しますね。

⑤ボリビアの結婚式
 ステイ先の親族が結婚!私も、家族として招待してもらいました。
 この様子についても、次回!
 すごく素敵な結婚式と、家族たち!

⑥ボリビアの新年!
 新年の迎え方は、とっても明るい感じ!各家々が花火をあげて賑やか!
 これも次回!

(次回ばかりで、ほんとかい?って感じですが、次回ということで)

⑦年末、新年にかけての、ボリビアガソリン騒動!
 いきなりガソリンに対する補助金制度が廃止!という大統領の法令発表とともに、国内が混乱!
 ガソリン価格80%高騰!それに伴い、交通機関のスト・デモ・反対意思表示の道路封鎖!
 小麦や砂糖の値段も徐々に上がっていただけに、一気に食料品への不安も増加!
 人々は、スーパー等に、食料品・日用雑貨等の調達に奔走!
 ニュースでは、反対運動の激化の様子が伝えられ、
 私たちも、外出禁止状態に・・・。
 → 年末の旅行シーズンになり、移動していた仲間たちも、急に旅行中止命令になったり、
   国外から来ていた仲間も、国へ帰国させられたり・・・。
   とにかく安全な方法で、家まで帰り、食料等の備蓄後、自宅待機!
 
 ・・・・・という、危機的な状況になりつつあったところ、
 あまりの混乱ぶりに、大統領が発言・法令の撤回を宣言!
 
 でも、ボリビアという国自身が、結局経済的に税制での対応が必要に迫られている状態
 には変わりなく、これからどうなるのか心配・・・。

と、細かいことを上げ始めればもっともっと!という感じですが、
ま、いろいろあったのです。

でも、ともかく元気に、新しい年を迎えることができました。

いろんなことが起きても、
いろんなことに驚いたとしても、
いろんなことに苦労し、涙したとしても、
今感じることができることは、貴重な経験であり、
こういう機会が得られたことは、素晴らしいことだと自覚し、
今しか感じられないことを大切にしたい

そんな思いをいっそう強くしました。
日々に幸せを感じられることに、感謝!