2011年6月8日水曜日

2月から始まった学校

ボリビアの小学校は、2月から新年度スタートになります。
そして、日本で言うところのいわゆる学区制ではなく、
毎年どの学校に行くかを、
通う子どもの家庭で選んで、希望の学校に申し込みに行きます。
1月の最後の2週間は、その申し込み期間になります。
多くの子どもたちは、前年度と同じ学校に通ってきますが、
新しい顔ぶれもたくさんいます。
逆に、街を歩いていると、
知った顔の子どもが、違う制服を着て歩いていて、
挨拶してくれるということも起きます。
ボリビアは、同じ校舎でも、
午前午後で、使う学校が異なります。
その点だけでも、
まず、選択ができます。
そして、日本のように校庭や体育館があるわけではなく、
狭い敷地に学校が建っているため、
なぜか、通りを一本挟んだ向こうに、学校がある、というように、
地域の中にもいくつも学校が立っている場所があります。
また、ボリビアでは、一歩学校の敷地を出ると、
学校の管理下ではなく、
各家庭の責任なので、
多くの家庭は、親が歩いて送り迎えをしたり、
年上の兄弟が年下の兄弟の手を引いて、一緒にと下校したりしています。
そういった関係もあって、
親の仕事などの都合で、
仕事先の近くを選んだり、
午前午後を選んだりする場合もあるようです。
もちろん、あの学校へ行きたい!!
という希望で選んだりする子も多いようです。
というわけで、新しい一年が、また始まっていくのです。
しかし、2月に学校がスタートすると言っても、
申し込みをしていなかった子の家族が遅れて手続きに来たり、
(すでにいっぱいになっている学年なら、受け付けてもらえないので、
 空きがあるときは、入れる。)
先生が急にやめたり、
新しく入ってきたけど、急に学校を変わったり、
子どもの様子によっては、
2学級で始まった1年生が、3週間してから、急に3学級に増える!という
学級編成(便宜的に分けるだけ)が、始まってから行われたり。
国にとって重要なオルロのカルナバル(祭り)のための祝日があったり。
学校がなんとか普通にスタートしたのは、結局3月中旬・・・・・。
ところ変われば、と言ったところです。
いろんな面があるボリビア。
教育の制度も大きく違います。
この国のよさも、問題に感じることも、いろいろありますが、
ともかく、学校に、子どもたちの声が響いている
というのは、いいものです。
日本の学校の新学期スタートのあの清々しさと、
あわただしいながらも、学級や学習が動いていく感覚が、
少し懐かしくなりました。

半年ぶりになってしまいました・・・・


永らくご無沙汰をしてしまいました。
数少ない読者の方々、ご心配をおかけしてすみません。
1月に旅行した時の記事のまま、ずっと変化なしだったので、
いつまで旅行に行ってるんだ!!
活動は????
といった心配の声が聞こえてきそうです・・・。
さて、その間はというと、
そうですね~~
いろいろありました。
皆さんにお伝えできることについては、
後追いになりますが、
ブログ内に記載していきます。
さて、ボリビアは、今は、冬!
私の住むラパスも、朝夕かなり寒い状態です。
ところが、日中はというと、
標高が高いだけのことがあって、
直射日光が当たると、ものすごく暑いです!
でも、同じ時でも
日陰にいると、ものすごく冷える・・・。
なので、日中の街の中、行き交う人の姿は、
半袖の人あり、
トレーナーの人あり、
セーターの人あり、
ダウン・フリースの人あり・・・・・
結構ふしぎな光景になります。
一日のうちで、体感的には春夏秋冬すべてを感じられる。
ラパスにお越しの際には、
服装の準備には、ご注意を!

2011年1月20日木曜日

スクレ

ポトシに次いで訪れたのは、スクレ。
スクレは、ボリビアの憲法上の首都です。
実際の行政機関は、今ではほとんどがラパスにありますが、
ここ、スクレには、最高裁判所があります。

そのためか、町にも「Abogado」(弁護士)の看板を掲げたビルがやたらに目につきます。

そして、スクレは、白い建物の輝く街。
当時のスペイン人が建設し、生活し、スクレからポトシの銀を管理していたというので、
町は、ヨーロッパ調。


最高裁判所ももちろん白壁。

スクレは、標高が若干低く、2800m。
町歩きをするのが楽しいかわいらしい町。
ここは、ボリビアの中でも趣がスペインを思わせるところでした。

ちなみに、スクレという名前は、
スペイン支配下にあった当時、
各地で独立運動を指導していたシモン・ボリバルの右腕であった
アントニオ・ホセ・デ・スクレ将軍が、現ボリビアの解放に成功。

1825年8月6日独立宣言が読み上げられた場所として、
この地を、スクレ将軍の名にちなんで、「スクレ」という町にしたそうです。

この町は、4つの名前があります。
それまでは、スペイン人には近くの銀山にちなみ「La Plata」と呼ばれ、
その後、「Chuquisaca」と名前を変え、そして、「Sucre」へ。
もうひとつ、町の姿を反映して、「Ciudad Blanca」とも呼ばれています。

今は、Chuquisaca県Sucreです。

というわけで、スクレの町を散策するべく、同期仲間に各所案内してもらいました。

自由の家と呼ばれる、スペインからの独立宣言文の調印が行われた場所。


中には、シモン・ボリバル、スクレ将軍の肖像画が飾られたり、
歴代大統領の肖像画もあります。

また、シモン・ボリバルが、南米地域の独立運動を指導していた当時の
最初の旗も、展示されており、
貴重な博物館になっています。

そして、すごく素敵だったのは、
この建物の中に、現在使われている図書館(資料館)があり、
歴史を重ねた味わい深い本と、
コンピューターで仕事をする人とが、一緒の空間に収まっています。

昔の地図が展示されていたりして、とっても落ち着く興味深い空間でした。


スクレには、織物博物館があります。
ここには、ハルカ、タラブコといったスクレ近郊の村で
織られている伝統的な織物が展示・販売されています。

この博物館では、実際に村の女性が織っているところを
見ることができます。

ものすごく細かい作業の繰り返しで、
壁掛け一枚(50cm四方くらい)織るのにも、半年ほどかかるそうです。
この織物は見事で、模様の組み合わせなど、織り手の頭の中に図面が入っているそうで、
手本やマニュアルで覚えるのではなく、
経験の積み重ねで、見事に織り上げていくそうです。
今は、発色のいい化学染料で糸を染めることもあるそうですが、
昔ながらの自然の天然染料を使ったものは、独特の味わい深い色合いをしています。

これらは、買うとなると、結構いいお値段がしますが、
この作業をしている様子を見ると、それでも安すぎるのではないかと思えるほどです。

きちんと丁寧でいい仕事の上に生み出されてくる作品には、
それなりの対価でいいと、思いました。

次回は、ぜひ、タラブコやハルカの村へ行って、
直接村の様子を感じながら、作品を見たいなと思います。



さて、スクレといえば、いろんなものがあるのですが、
タカザウルスとして外せないのが、恐竜の足跡見学です。

町はずれのセメント工場の敷地内で、
土を掘っていたところ、壁面に残る足跡が発見されたというところ。

ここは、今は白亜紀公園と名づけられ、
各恐竜の実物大模型も見ることができます。

知る人ぞ知る、地元の恐竜公園を思い起こさせるような大きな恐竜がたくさんあり、
ちょっぴり懐かしい気分になりました。
(タカザウルスのキャラも、当時地元で恐竜公園ができたときに、友達と考えたんですよ。)

恐竜内部が滑り台になっていたり、アスレチックがあるわけではありませんが、
足跡の恐竜たちがいきていたら、このサイズなんだな~と、
昔のボリビアは、どんな植生だったのかな~
と、考えてみたりしました。



もうひとつ、スクレといえば、ボリビアの女の子からすぐ言われるのが、
チョコレートです。

ここには、有名な Para Te というチョコの本店があります。

そこで、チョコレートケーキを堪能しました。

甘いチョコレートケーキとくれば、
おいしいコーヒーが飲みたくなるのですが、
この店にある食べ物・飲み物はすべて、チョコ入り・・・・。
ということで、ものずご~く濃厚なケーキを食べ、後は、水を飲んでおりました。

スクレでは、友達のお薦めで、
ダンスのショーが見られるところへも行きました。
ボリビア中のいろんな踊りが見られ、最後には、みんなステージに上がって踊ることができます。
ダンスも衣装も本当に多様で、魅力的です。
どのダンスを習うかが、ものすごく迷います。

そして、スクレでも、スクレのビール、スクレーニャを堪能したのは、言うまでもありません。


スクレから、ラパスへは、夜行バスで12時間。
最近、バスのブスカマ(リクライニングできるゆったりの横3列シートのバス)にも、
なれてきた感じで、けっこうしっかり寝られます。

スクレをはじめ、今回出掛けたところはみな、いろんな見所たっぷりだし、
ステイ先のお父さんには、スクレでサルティーナを食べないなんて~
と言われたので、ぜひ、また行きたいな~
と思っています。

旅でであった旅人の皆さん、
(ウユニ~ポトシ~スクレと、同じように回っていて、何度もいろんな場所で会う人もいて、
最後には知り合いのようになっていました。)
再会できた同期の仲間たち、
各所で丁寧な案内をしてくれたガイドの人たち、
ホテルや街の人々、
一緒に旅行してくれた、いつもお世話になっている友達、
いろんな人との出会いや、
体験や、思いに、感謝!

ポトシ


ウユニの次に向かったのは、ポトシ。
ここは標高4070mにある、南米ではものすごく重要な都市の一つ。
世界文化遺産に選ばれた旧市街地が残り、
銀山セロ・リコが、ポトシを見下ろしている。

1545年原住民によって発見された銀をきっかけに、
ここポトシは、世界最大の銀鉱脈として注目される。
当時、支配していたスペイン人たちによって、
ここの銀は、各銀製品や銀コインに姿を変え、
世界中に広まっていった。


そのような、歴史上重要な地域だったポトシだが、
鉱山で実際に働く工夫たちの仕事は過酷を極めた。
スペイン人の支配下から解き放たれた今でも、仕事の過酷さは変わらない。

厳しい労働の中で、掘り起こされる資源。
現在、ここでは、錫の採掘がおこなわれ、ボリビア経済を支えている。


ここには、当時の有名な造幣局がある。
そこでは、とても特徴的な顔がお出迎えしてくれている。


Casa de la Moneda

中は、博物館になっていて、
いろんな銀貨や、その製造工程などを見学することができる。
しかも、丁寧にガイドさんがついて
解説をしてくれるので、ありがたい。

建物など当時のものなので、
どんな作業で、どんな環境だったのかと考えると、
世界の晴れ舞台で輝いていた銀・宝飾品、銀貨を支えていたのは、
この、南米の、ボリビアの先住民たちなんだなと、
あらためて、感慨深かった。

ちなみに、ここポトシでは、おいしいフォンデュ・デ・カルネを食べられると聞き、
しっかり味わいに行きました。
おいしい料理のお伴には、この土地のビールであるポトシーナ。
味については、仲間内でもいろんな評があるが、
1ℓビンで出てくるのはありがたい。

4000mの高地でもおいしく食べて飲んで過ごすことができる
自分の健康体を、本当にありがたく感じました。

ウユニ塩湖 その3

ウユニでは、いろんな自然の姿も見ることができます。


これは、標高4000m超えのところにある、強風によって自然に出来上がった岩
「Arbol de Piedra」その名も、石の木

ここは、周りに風を遮るようなものもなく、立っていても押されるほどの
ものすごい強風が吹いている場所でした。
ガイドさんの話によると、風向きの関係で、午後に、すごい強風になる場所らしいです。
今にも、倒れてくるんじゃないか・・・・。
と心配になるようなバランスで立っています。
この周りにも、風の影響で、
奇妙に穴がいたり、亀裂が広がったりしている岩がありました。

そして、形が不安定で、しかも強風の中、それらの岩に挑んでいる観光客もいました。
思いっきり記念写真を撮ってもらっていました。
(かなりのツワモノでないと登れない・・・。)


お次は、「Sol de Mañana」
その名も、朝の太陽

ここは、標高5000m近くにある、大地から蒸気が噴き出しているところです。
朝、寒い中行ったので余計に湯気の柱がはっきり見えました。
この写真は、大地の割れ目から
土というかお湯というか、まるで白いマグマのような感じで
ぼこぼこ湧いていることろです。
地面も触ると温かく、湯気は硫黄のにおいがしていました。

とても、温泉というレベルではなく、
入ったら溶けそう・・・・という感じ。

でも、そこから、少し行ったところに、ラグーナブランカ(白い湖)という、
いわゆる温泉がありました。
観光客の皆さんは、水着に着替えて入っている人も多かったです。
でも、周りが結構寒い!
ということで、
私たちは、その近くでお湯が湧き出ているところに、足湯状態で入ってあったまりました。
そこの温度は38度くらいで、ちょうどいい~。


塩湖の中には、Isla de Pescado という、
塩の海に泳ぐ魚のような形をした岩礁があります。
この島は、一面のサンゴの化石で覆われていて、
かつて海だったことを物語っています。
島の周りは、海岸線のようで、塩の波が打ち寄せたような跡があります。

ここには、サボテンがたくさん生えています。
乾燥した塩の大地に、ぎらぎら輝く日差しを受けて、
力強く、太陽に向かって伸びるサボテン。
そして、そこから顔を表し、凛と輝くサボテンの花。


ラパスにいるだけでは見ることのできないような風景をたくさん見て、
風を肌に感じて、
日差しをいっぱい受けてくることができました。

ボリビアは、広い!
そして、自然環境が豊か!
ということを感じ、
いずれは、ボリビアのアマゾン方向(ベニ県トリニダ)へも行ってみたいと思いました。
(ワニとか、ピラニアが食べられる地域です)



¡Viva Bolivia!

ウユニ塩湖 その2

ウユニツアー中は、いろんな動物にも出会えました。

まずは、標高4000m級の山に住む、ビクーニャ。


彼らは、普段、家族?仲間と一緒に行動をしていて、高地を駆け回っています。
この時は、水辺へ集まってきていました。
希少動物なので、決まった時期にしか狩ることはできません。
ビクーニャの毛は、アルパカの毛よりも、細くやわらかく、
セーターなどにすると、ものすごーい高級品へ。

木が一本も見えない高地で、彼らはどこに巣があるのか・・・。
ガイドさんの話によると、
「夜は、その辺で集まって寝ているよ。」

厳しい環境の中で、たくましく、かわいらしく生活しているビクーニャ。
(彼らの生態については、また、専門の隊員に聞いておきますね。)

お次は、チリフラミンゴ。

ラグーナコロラダ等の、赤い色をした湖に生息しています。
体の色がきれいなピンク色をしています。
これは、湖近くのホテルの従業員らしき女性に聞くと、
「湖で、食べている餌の小エビやミネラルのおかげで、ピンクになるんだよ。」
とのこと。

食べた物の色を反映するだけ、
体が美しい、ということかもしれないな~と、思いました。

人間も心を反映して瞳が輝くもの。
生き生きとした輝きを持ち続けたいものだと感じました。

ウユニ塩湖 その3に続く。

ウユニ塩湖 その1

夏休みを利用して、国内観光に行ってきました。

まず、思い浮かぶのがウユニ塩湖。

標高約3700Mのことろにある世界最大の塩湖です。
私と友人は、本当はオルロから列車でウユニ入りをしたかったんですが、
混んでいて乗れず、バスでウユニへ向かいました。(列車は次回!)

そこで、偶然、同じような日程でウユニツアーに来ていた同期仲間4人にも再会!
(みんな考えることは同じよね~)
一緒に朝食を食べ、情報交換をし、出発しました。

私たちは、一泊2日の塩湖に泊るツアーと、
ラグーナコロラダやラグーナベルデまで行く2泊3日のツアーをくっつけて、
3泊4日で行きました。

ウユニ塩湖は、一面真っ白!
ちょっと間違うと、一面の雪原に来ているのか?と、
雪国育ちの私は思ってしまうほど、白銀の世界!
でも、確実に、塩なんです。
少し降った雨の水たまりには、塩がまさに結晶化していく状態が見れ、
きらきら輝いています。
そこでは、こんなショットを!

「タカザウルス、ディノサウルスに追いかけられる」

今回のウユニツアーでは、
日本人と韓国人の旅行者さんたちと一緒になりました。
彼らの中には、世界一周の途中という人もおり、
どんな感じで回るのか、どんなチケットを取って計画しているのかなど、
いろいろ教えてもらいました。
中には、ツアー途中で、チリの国境へ抜けていくという人も。
みんな、気さくな明るい人たちで、
短い間でしたが、とても楽しい旅になりました。
これも、旅の楽しみでもありますね。

この旅、車であちこち回るのですが、
ここで大活躍なのが、トヨタのランクル。
道がないようなところや、塩の中、川の中、
埃だらけになりながらも、ぐんぐん走っていく。
他のツアーも同じようにランクル。
みんなが集まる観光ポイントにつけば、びっくりするくらいのランクルの数々・・・。
4000M級の高地でも、悪路や長時間走行にもびくともしない
日本車の性能の良さを、改めて実感しました。


久しぶりの旅に出て、元気いっぱい!充電満タン!
そんな気分を、パシャリ!

ウユニ塩湖 その2に続く。